鎌倉街道を探して【黍生(キビュウ)谷】

くるみ温泉&キャンプ

2014年07月05日 23:38


「右ハ村道 左ハ江戸道 善光寺」

この道標、
秋神川沿いの県道435線を上流に向かった最初の橋「蟋蟀(コオロギ)橋」と
鈴蘭トンネルとの間にポツンと佇んでいる「鎌倉街道」のものである。

この道標の上流には、小説「山の民」で舞台となった速水家の廃墟があったが、
今年の大雪で遂に潰れてしまい、今は石段と瓦礫だけとなっている。

この道標の奥へ向かって、「中の宿」へ抜ける鎌倉街道があったという事だが、
地元の人に聞いても、黍生谷ルートを知っている人はほとんどいない。

以前、野麦峠でお助け小屋や「政井みね」の記念碑を見た時から、
(ここから飛騨に抜ける道はどのあたりの道を通って来たのだろう?)と、
少し期待も含めて気になっていたが、先日このあたりの旧地図を見つけて、
その道が秋神を通っていると知り、俄然興味が湧いてしまった。

飛騨周辺のこの街道について、調べてみると、
呼び名は「鎌倉街道」「飛騨野麦越中街道」「鰤街道」がほぼ同じルートとある。

飛騨国から秋神を通って、阿多野郷(高根)から野麦峠へ。。

約100年前、多くの女工達が夢膨らませて、あるいた苦難の末通った道が、
こんな近くにあったという分けである。

100年前の鎌倉街道、その痕跡に触れることができたら・・・。
この道無き熊笹道、通らずにはいられない。

いつ通るか?

・・・今じゃないよ。でも必ず。。

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